投資本としてのドストエフスキー小説

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ドストエフスキーの『賭博者』 (新潮文庫 1969) を読んだ。

本書は一流のギャンブル本であり投資本だ。

例えば、ルーレットの世界にも株式投資のような「チャート」を元に賭ける「チャート信者」がいたことがわかる。

彼ら「チャート信者」は、過去の実績をグラフ化して、そのデータを元に賭けるのだが、当たらないようだ。

勝率は行き当たりばったりに適当に賭けているギャンブラーと変わらない。

…そういう連中はグラフにした紙を手にして陣取り、当りを書き込んだり、計算したり、チャンスを割り出したり、予想したりした末に賭けるのだが、計算なしに勝負しているわれわれ凡人とまったく同じように負けるのである。しかし、その代わりにわたしは、おそらく確実と思われる一つの結論をひきだした。実際、偶然のチャンスの流れの中に、ひとつの体系とこそ言わぬまでも、なにか一種の順序のようなものがあるのだ。もちろん、それはふしぎなことである。

本書p.38


ルーレットはいかさまでなければ結果は偶然で決まる。

いくら過去の結果を分析してグラフ化して未来は予測できない。

もしチャートが有効ならグラフをもとに賭けるだけで誰でも勝てる。

これでは親(カジノ会社)が一瞬で破産するのでギャンブルとして成り立たない。

ただ、チャートが有効でなくても、賭博者にとっては過去の結果に法則性を見出して将来を知りたいものなのだ。

これは投資家にも通ずるものがある(日本テレビのジブリ作品放映日は相場が荒れる「ジブリの法則」を信じてしまうとか)。

本書はルーレットに入れ込み過ぎた人々の物語だが、ルーレットを株式投資に置き換えれば、「素人が株に手を出して大やけど」しないための戒めの書としても読める。

ギャンブルも投資も、入れ込みすぎると周囲が見えなくなり、負けを取り返そうと躍起になってさらにドツボにはまる。

「ギャンブルの負けをギャンブルで取り返す」、「投資の負けを投資で取り返す」のは愚策中の愚策なのだ。傷口が大きくなりそうになる前に逃げること。

この小説を読むと、「ギャンブルに入れ込んでドツボにはまっていく人々の心理」を第三者の目で冷静に見ることができる。投資に熱くなりすぎて無用な損失を出すことを防げる。

これだけでも本代の元は十分取れる。

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