信長が延暦寺を焼き討ちしたのは、上洛時にびびりたくなかったから

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Kyoto

竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』 (PHP文庫)を読んだ。

タイトルのとおり、地形を元に日本史の謎を読み解くという視点が面白い。

わたしが特に興味を持ったのが「信長が比叡山を焼き討ちした理由」だ。

理由は「比叡山の延暦寺が怖かった」から。

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「信長の恐怖」を地図で見る

本書の第2章「なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか」を元に「信長が延暦寺に対して抱いていた恐怖」を図で描いてみた(地図はGoogleマップ)。

信長が居城の安土城から京都へ行くとする。

安土城を発した信長の大軍は、大津から京に入るため「逢坂」を通過しなければならない。

逢坂は狭い峠道。

いくら大軍を率いていても、隊列は縦に長く伸びる。

縦長の陣列は本隊を左右から攻撃されるとひとたまりもない。

上図のような、「前後の防御は厚いが左右は手薄な状態」を信長は恐れた。

「桶狭間の再現」の恐怖

なぜか。

1560年、桶狭間で今川義元に対して自分がその戦法を用いて勝った経験があるからだ。

もし逢坂で延暦寺の僧兵が桶狭間の戦法を用いて自分に襲いかかってきたら……。

天下人になっても、居城の安土から京へ上るたびに延暦寺の僧兵の襲撃にびびり続けなければいけない。

もし和睦したとしても、琵琶湖~京の最重要ルートは延暦寺のコントロール下に置かれる。

そんなことに耐えられるか?!

それを考えると、恐ろしくて先手を打たざるを得なかった、というのが本書の説。

※地図を見ると、延暦寺の鬼門に安土城があるような気がする(京都から見ても鬼門?)。

【帯】
養老孟司氏、推薦!
歴史の常識を覆すようなことを、データで裏づけしながらやってくれる。だから面白いし納得できる。
荒俣宏氏、絶賛!
ほとんど人が作り上げた日本の領土。だったら日本史の謎も国土を読めば解けるだろ!

【目次】
関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったかー巨大な敵とのもう一つの戦い
なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたかー地形が示すその本当の理由
なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたかー日本史上最も狭く小さな首都
元寇が失敗に終わった本当の理由とは何かー日本の危機を救った「泥」の土地
半蔵門は本当に裏門だったのかー徳川幕府百年の復讐1
赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したかー徳川幕府百年の復讐2
なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したかー徳川幕府百年の復讐3
四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたかー徳川幕府百年の復讐4
なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったかー関東制圧作戦とアウトバーン
江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたかー忘れられたダム「溜池」
なぜ吉原遊郭は移転したのかーある江戸治水物語
実質的な最後の「征夷大将軍」は誰かー最後の“狩猟する人々”
なぜ江戸無血開戦が実現したかー船が形成した日本人の一体感
なぜ京都が都になったかー都市繁栄の絶対条件
日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したかー交流軸と都市の盛衰
なぜ大阪には緑の空間が少ないかー権力者の町と庶民の町
脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
「二つの遷都」はなぜ行われたかー首都移転が避けられない時

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