高田宏『猪谷六合雄―人間の原型・合理主義自然人 (平凡社ライブラリー)』を読んだ。
本書で紹介されている猪谷六合雄(いがや くにお)は、生涯定職には就かず「お金のために働いたことのない」人であった。
米原万里『打ちのめされるようなすごい本』で次のように紹介されていた。
早期リタイア者にとって理想の人生を送った人だ。
「お金のために働いたことのない」猪谷にとっては、労働は遊びでもあり、住む場所もまた、自由奔放に選んでいく。戦前、戦中にジャワであれ、千島列島であれ、思い込んだら出かけて行ってしまうのだから爽快である。「生涯放浪する人であった巨人は」「行く先々で、住む家を自分の手で、自分の労働で、何件も建てている」「ほとんどお金が要らないだけでなく、この人独自の考案が住居の隅々に実現される」。
(中略)
七〇歳を過ぎてから運転免許を取得すると、マイクロバスを住居に改造して日本中を放浪し続け、九五歳で大往生を遂げる。
米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋 2006)p.83-84
お金のために働かず、70歳を過ぎて免許をとって、マイクロバスを住居に改造して日本中を放浪する……何と自由な人生だろうか。まさに、わたしが子供の頃からあこがれていた人生だ。
貧乏を恐れさせる現代文明
なぜこのような人生を送れたのか。猪谷六合雄は自著で「貧乏をあまり恐れなかったような気がする」と書いている。
現代文明は人びとに貧乏を恐れさせる方向で進んでいる、と言っていいだろう。貧乏を恐れないということは、そのことだけで現代文明への批判である。
高田宏『猪谷六合雄―人間の原型・合理主義自然人 (平凡社ライブラリー)』p.13
「生活レベルを下げる、それを他人に知られる」というのが現代人にとって一番の恐怖だ。
貧乏の対策法
猪谷は「貧乏」について次のように考えていたという。
昔の山小屋に泊まるとかならず蚤(のみ)に攻められたものだが、その対策は二通りある。蚤を絶対に退治することと、蚤に食われても平気になることだ。貧乏対策にも二通りある。「絶対に貧乏しないことと、貧乏になっても平気でいられるようになること」の二つである。猪谷六合雄は後者を選んだのだと言う。反対に、絶対に貧乏しないことを選べば、そのために人生を棒にふり、したいことのできない不自由な一生を送りかねない。
高田宏『猪谷六合雄―人間の原型・合理主義自然人 (平凡社ライブラリー)』p.13
現代は「絶対に貧乏しないでいかに収入を上げて浪費をするか」ということに血道を上げ、「人生を棒にふり」「不自由な一生」を送ることを強要されている。
「人生を棒にふっている」ことに気づいたとき、それを40代で止められただけでも良しとするか、と自分をなぐさめる。
猪谷六合雄の著書はいずれも絶版だが、Amazonでは高い値段がついている。それだけ魅力的な人生を送ったのだろう。現代は、嫌われる勇気よりも貧乏でいる勇気が必要なのだ。