青空文庫で『文明国には必ず智識ある高等遊民あり』(内田魯庵(著))を読んだ。
明治時代に書かれた、900字程度の短い文章だ。
日本は明治時代から「お金があるから働かない」人たちと、働かない人を叩く「勤勉」な人たちがいた。
本書によると、高等遊民(知的レベルが高く経済力があるから働かない人)はどんな時代でも、どこの国でもいるという。
遊民は如何なる国、何れの時代にもある。何所の国に行っても全国民が朝から晩まで稼いで居るものではない。
すべての国民が朝から晩まで働いている国なんかない。
「1億総活躍社会は妄想だ」と主張する。
働かないのは豊かだから
高等遊民がいても何の心配もない。
高等遊民がいるのはその国が豊かだからだ。
逆に、高等遊民がいない「勤勉な」国は滅びる心配がある。
勤勉な国民が多いのは、その国が貧乏だからだ。
けれども、国に遊民のあるは決して憂うるに足らぬことだ。即ち、これあるは其の国の余裕を示す所以で、勤勉な国民に富んで居るのは、見ように依ってはその国が貧乏だからである。
遊民が多いのは亡国だーーーと心配するのは大間違い。
豊かな先進国には必ず遊民がいる。
遊民の多きを亡国の兆だなどゝ苦労するのは大きな間違いだ。文明の進んだ富める国には、必ず此の遊民がある。
働かないでもやっていける人がいるのは、その国が豊かだからだ。
働かない高等遊民を叩いて働かそうとするのは「もっと国を貧乏にしろ」と言っているのと同じだ。
愚民化すれば国民は働く?
本書の後半では、国家が高等遊民の増加を恐れるあまり、教育レベルを下げようとするのでは、と心配している。
智識ある高等遊民のあるのは其の国の文明として喜んで好い、遊民其の物を喜ぶのではないが、国が文明になれば遊民も亦智識が進み、文明になる。それは、国が文明に進むに伴れて教育の進歩した結果、当然来ることで、それを恐れて教育を加減するが如きは可笑い話である。
税金で高等教育を充実させても、働かない高等遊民が増えるだけでは意味がない……と国が懸念することを著者は心配している。
文明化がすすんで国民全体の知的レベルが上がっていけば、それに比例して高等遊民が増えるのは仕方ない。
著者が心配しているのは「高等遊民を撲滅するために、国家が国民の知的レベルを下げる政策を実行して愚民化政策を進めるのではないか」ということだ。
国民の知的レベルが下がり、貧しくなって、国民全員が働かざるを得ない状況になる……これでは本当に国が滅んでしまう。
だから「遊民が少ないのは亡国の兆」といえる。
▼Kindle版
参考超訳・文明国には必ず智識ある高等遊民あり(2011.9.8 ウォール伝、はてなバージョン。)