兼好法師が早期リタイアに成功して『徒然草』を書けた3つの理由

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清水寺 京都

日本の早期リタイア成功者といえば『徒然草』の著者「兼好法師」だ。

兼好法師 – 徒然草に記されなかった真実』(小川 剛生 (著), 中公新書, 2017)を読んだ。

本書を読んで彼が早期リタイア(兼好法師の場合は「出家」)に成功した理由がわかった。

理由は3つある。

  • 早期リタイアしても都会(京都、時には鎌倉)に在住
  • 十分な経済力
  • 処世術(広い人脈・世渡り力)
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崩れた思い込み

兼好法師は出家しても京の都に住み続け、悠々自適に暮らせるほど十分な経済力を持ちながらも精力的に「仕事」を続け、幕府(鎌倉・室町)や朝廷に広い人脈を築いていった。

(「仕事」といっても役人として「宮仕え」することではなかった)

本書を読むまで抱いていた「宮仕えを早々に辞め遁世して、一人でのんびりと静かに悠々自適に暮らしながらつれづれなるままに『徒然草』を書いていた」、というわたしの思い込みは崩れた。

「遁世」や「隠居」といえば、郊外や田舎に小さい家を構えて、一人でのんきに暮らすライフスタイルと思っていたから……。

兼好法師の(華麗な?)早期リタイア生活のくわしい内容は本書を参照してほしい。

「田舎でひきこもり」では成功できない

わたしが思い込んでいたような「田舎にひきこもって遁世」では『徒然草』は誕生しなかっただろう。

京の都に住み続け、幕府や朝廷の要人とつきあい続けることで、『徒然草』のネタを集めることができた(田舎にひきこもっているだけでは「書くネタ」がない)。

そして、執筆活動のような「カネにならないが好きなこと」をして暮らせるだけの十分な経済力を持っていた(当時は「出版業」というビジネスはなかった)。

これらの条件が揃って『徒然草』が誕生した、とわたしは本書を読んで実感した。

結果、兼好法師は「日本一有名な早期リタイア成功者」となった(有名になったのは彼の死後だけど)。

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