サラリーマン時代は「飲み会」が大嫌い少々苦手だった。
プライベートの飲み会は大好きだ。
どうして会社の「飲み会」が嫌いだったのか、5つのポイントを挙げて検証してみた。
出欠確認メールにどう返信するか迷う
年末、異動、新人の配属のシーズンになると、気が重かった。
お約束のように飲み会の出欠確認メールが届く……気が重い。
なぜかといえば、行きたくない飲み会については「出席する」とも「欠席する」とも言いたくないからだ。
心のなかでは「大欠席」なのだが、「欠席ばかりしていると査定に響くのではないか」、とか、「人間関係が疎遠になるのでは」とか、どうでもいい悩みを抱えなくてはいけなかった。
一番嫌だったのは、行きたくない飲み会に「出席」の返信をする時だった。
自分にも他人にも嘘をつく……こんな悲劇があるだろうか。
時間を守らない者を待つ理不尽
飲み会の当日は指定時刻に間に合うよう、早目に仕事を切り上げていたのだが、必ず時間を守らない者がいる。
間に合わなさそうなら欠席するか、「遅れる」と連絡を入れればいいのに何の連絡もせず、人を待たせる。
この無意味な空き時間を過ごすのが苦痛だった。
ビジネスの世界では、他人を待たせるのは殺人と同じくらい罪が重い。
「他人の時間を奪う」というのは、結局その人を殺すのと本質的には同じだからだ。
もし、「人を待たせて偉い気分」になっているのなら、相当重症だ。
他人の時間を無駄にする者からはヒトもカネも離れていく。無駄に待たされるのなら、残業するか、さっさと帰宅したほうが10000000000000000×10256倍ましだ、と思いながら待たされた。
どこに座るかで迷う
早目に居酒屋に到着したとき、どの席に座るか選択しないといけない。
自分の席の周りに誰が座るのかと考えただけで気が重くなる。
普段あまり話しをしない人ばかりだと、気まずい雰囲気を味わい続ける。
会社の飲み会は「懇親会」と銘打っても、結局普段話している人としか話さないものだ。
仲の良いもの同士がさらに仲良くなるというのが「懇親会」だ。
「話の輪」に入っているフリが耐えられない
最初の乾杯が終わり、しばらくするといくつかの「話の輪」ができる。
必ずどこかの輪に加わらないと深い孤独感、疎外感を味わうことになる。
異動がないとメンツがいつも同じで面白くない。
本当は早く帰りたいのだが、仕方なく「話の輪」に加わってあいずちをうったり、笑ったりといった「演技」をしてしまう。
自分にも他人にも嘘をつく……こんな悲劇があるだろうか。
時計をちらちら見て、早く終了時刻になることを祈り続ける。
2次会、3次会があるみたいだが、出席したことはない。
彼らは、「何か自宅に帰れない理由」でもあるのだろうか?
飲み会の費用が高過ぎる
たいして飲み食いしていないのに何で4,000~5,000円も払わないといけないのか。
5,000円なら仕事関係の本が3冊以上買えたのに……。
飲み会10回分だと本が30冊以上買えるのに……とか計算してしまう。
こんな行事が年に数回あれば、辞めたくなってもおかしくはない。
結論
イヤイヤ参加している人がいると、場の空気が壊れる。
出席をイヤがっている人を無理に参加させないのがベストだが、イヤがっている人も楽しそうなフリをするので、誰がイヤがっているのか見つけるのは難しい。
PS
- 強制参加の飲み会で気まずい思いをしなくてすむセミナーとか……流行らないか。
- もうサラリーマンに戻る必要はないから、協調性や同調性があるフリをする必要もない。