仕事が死ぬほどイヤなら続けるのは無理

先日、NHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」という番組を聴いた。

テーマは「漱石と明治近代科学」。

スポンサーリンク

教師の仕事が死ぬほど嫌だった漱石

夏目漱石は東京帝国大学(現在の東京大学)等で教師をしながら作家活動をしていたのだが、教師の仕事がイヤでイヤでたまらなかったらしい。

「教師の仕事は死ぬほどイヤ」というところまで追い込まれていた(自分を追い込んでいた?)。

教師と作家の2足のわらじを辞めて、作家一本でやっていきたかったらしい。

結局、教師の仕事はすべて辞職し、朝日新聞に入社して専業作家となる。帝国大学の先生から民間企業への転職なので、世間からは「転落」と思われても仕方ない。

「世間体的」には思い切った決断だ。

大学を辞して朝日新聞に這入はいったらう人が皆驚いた顔をして居る。中には何故なぜだと聞くものがある。大決断だとめるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程さほどに不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかはもとより疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くならもっともである。

夏目漱石『入社の辞』冒頭 (青空文庫)

帝国大学の教師という「超安定&超リア充」の地位を捨てて民間企業の朝日新聞に行って作家業をやるのだから、事情を知らない他人から見れば「なぜ?」ということになるのだろう。

作家として成功できるのか、将来の保証はまったくない。当時は現在の日本企業のような「正社員」という甘い制度は存在しないので、小説家として結果が出なければ朝日新聞を解雇されるリスクがある。

でも、教師を辞めた。理由は「イヤだから」。これ以上の退職理由があるだろうか

「仕事がイヤ」という心のメッセージを読み取れ

漱石でなくても、仕事が死ぬほどイヤになれば、長続きしない

というより、続けてはいけない。

やりたくない仕事なんて、体に悪いだけで何のメリットもない。

死ぬほどイヤということは、自分の良心が、自分の心と体に対して「このままではダメになる」というメッセージを送っているのだ。

やめるとなと云ってもやめて仕舞しまう。めた翌日から急に脊中せなかが軽くなって、肺臓に未曾有みぞうの多量な空気が這入はいって来た。

最終出勤日に会社のビルの玄関を出て大きく吸い込む空気のうまさ!

スポンサーリンク

関連コンテンツ

twitterをフォローする
twitterをフォローする

ブログを購読する
ブログを購読する

follow us in feedly Subscribe with Live Dwango Reader