成果主義という名のもとに、会社がぶら下げたニンジンにくらいつけなかった。
何か「うさんくささ」というのを感じていたからだ。
結局「早期退職者募集」が実施された。
いくら社内で出世しても、経営が傾いたら競争で勝つことに意味はないのだ、と思い知った。
なぜ競争したがるのか
青木雄二著『ボロ儲け経済学―ゼニのカラクリ明かします』 (光文社知恵の森文庫 2001)で、資本主義社会の「競争」のうさんくささを知ることができる。少し長いが引用する。
いまとなってみれば、学校の先生が「人より偉うなりい」「職業に貴賎なし」というお題目を繰り返していた理由がよくわかります。それは、そのほうがこの社会を支える支配者にとって、いたって都合がいいからにほかなりません。なんとなれば、この資本主義社会は、競争原理によって動いているからであります。ぼくらは四六時中、過剰なる競争心、嫉妬心をあおられて生きているのです。
(中略)
こうした競争心、嫉妬心は「欠乏感」「欠落感」「不安」から生まれてきます。ぼくの学んだ学校の教師は「人より偉うなりい」「人より勉強のできるようになりい」と四六時中、洗脳を繰り返すことで、生徒たちの欠乏感、欠落感、不安感をあおり、資本主義社会を支えるのに都合のいい人間を量産してきたというわけです。
ゆがめられた嫉妬心や競争心は、支配者にとっていたって都合のいいことであります。支配者は、支配されている側の不満が自分たちに向けられず、弱い物同士で、お互いに憎みあってもらったほうがいいのであります。
(中略)
文部省(現:文部科学省)は、偉大なる弁証法的唯物論のマルクス主義のマの字も教えず、偏差値と、生産性の高い資本主義の下僕ばかりを作り上げました。彼らは資本主義社会の本質を知らずにさんざん資本家に尽くし、過労死していくわけです。
資本主義には競争はある程度必要だが、競争が激しい割には、賞金がだんだんしょぼくなってきているような気がする。
「働きに見合った賃金を払えばいい」というのは一見理にかなっていると思えるが、マルクスの説ではそれでは社会が持たないことがわかる。
成果に見合った賃金だけでなく、子孫を作るための経費も保障しないと、国が滅びる。
資本主義社会のルールを学んで生き延びろ
資本主義について無知な人は「無理をして仕事して心身を病みがち」になる。
競争社会のうさんくささを察知すれば、「無理のない範囲で仕事して、ヤバそうになったら撤退して再起を図る」ことを考えるはずだ。
資本主義社会のルールを知らないままだと、たとえビジネススキルを身につけたとしても、いいように使われて使い捨てられるだけだ。
「資本主義社会のルール」を勉強するには『資本論』を読むのがいいのかもしれないが、分厚すぎる。わたしは『賃労働と資本』 (岩波文庫 1935)という薄い本で学んだ。すべてのビジネス書のエッセンスが詰まったお手頃感のある本だ。