「ワークライフバランス」という言葉には「仕事(ワーク)」と「ライフ(生活)」が対立しているという前提がある。仕事はほどほどにして生活の質を上げましょうということだ。
でも、よく考えたら、「ワークしている時はライフではない(つまり死んでいる)」のだから、恐ろしい。
遊びは仕事、仕事は遊び
「生涯、お金のために働いたことがない自由人」で紹介した猪谷六合雄のように、ワークとライフとが融和した人生を送りたいものだ。
猪谷六合雄は手仕事の人だが、その仕事は代価を得るためのものではなく自分のためであったから、時間にはせかされることのない、丹念な根気のいい仕事であり、工夫をかさねながら、そのことに没入していった。何であれ、とりかかると熱中してゆく。そこには仕事と遊びという対立図式がない。
仕事と遊びを分けるのは、仕事が生活費を得るためとか、何かのためになってからのことだろう。はるかな遠い昔、石を材料にして石斧などいろいろな道具をつくっていた人びとは、それを仕事とか労役とか感じていなかっただろう。つくろうとする道具にふさわしい石を探し出すことも、その石を割って道具につくってゆくことも、それ自体に喜びがあったはずだ。
高田宏『猪谷六合雄―人間の原型・合理主義自然人 (平凡社ライブラリー)』p.14
現代の仕事は異常
現代の仕事はプレッシャーをかけられながら品質、納期、ノルマを達成し、人間関係を維持することにエネルギーを消費するため、疲弊する。
リタイアすればほぼ100%マイペースでやりたいことだけできる。それを「仕事」にできるのだから、ぜいたくだ。
「僕のしていることをビジネスと呼ぶのはやめてください!僕は最高に楽しんでいるんですから」
クリス・ギレボー『1万円起業 片手間で始めてじゅうぶんな収入を稼ぐ方法』p.26
リタイアした後の「仕事」って、こんな感じになる。