「お金持ちほど幸福度が高い」という思い込みが経済の原動力になる

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2016年最初に紹介したい本は、正月に読んだ『いまこそアダム・スミスの話をしよう~目指すべき幸福と道徳と経済学~』(木暮太一著 マトマ出版 2011)だ。

イギリスの経済学者アダム・スミスの経済学の古典『国富論』『道徳感情論』をわかりやすく解説した本だ。

一番印象に残ったのは、経済の原動力は「軽薄な人」というアダム・スミスの主張だ。

「軽薄な人ほどお金を稼ぎたがる」ということだ。

お金さえあれば、もっと幸せになれる!

お金さえあれば、もっと尊敬してもらえる!

という「軽薄な思考」が人をお金を稼ぐ行動に駆り立てると、アダム・スミスは考えた。

スミスは経済を動かし、発展させていく原動力となるのは「軽薄な人」と考えていました。軽薄な人が経済発展を導くのだと主張していたわけです。

「軽薄な人」とはどんな人だろう?

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軽薄な人ほど金持ちになりたがる

スミスが言う「軽薄な人」とは、「自分の中の裁判官、つまり自分の中の『正義』が下す判断よりも、世間からの評判を気にしてしまう人」です。つまり「自分の心に背いて安易に正しくない道に進んでしまう人」のことです。

「軽薄な人」がなぜ経済の原動力になるかといえば、「他人の目」を気にするからだ。

軽薄な人は世間の目を気にして、自分を飾ろうとしています。自分が裕福である、自分は重要人物であるとアピールしたいのです。そして、必死に富を追いかけるようになります。

「軽薄な人」は見栄、自己承認欲求、プライドを守ることを追求するためにお金を稼ぐ。

わたしがこの記事を書いている時に、こんなツイートを見かけた。

年末年始にFacebookに豪華な料理、温泉、意識が高い抱負をアップするのも、「世間の目を気にするために富を追いかけた結果」だ。

お金持ちは尊敬される

では、なぜ世間の目を気にすると富を追いかけるのか?

それは貧乏人よりも金持ちのほうが世間からの尊敬を集めやすいからだ。

金持ちが見せびらかす「大したことない実績」の方が、貧乏人が堅実に挙げた成果よりも賞賛に値すると感じる。そしてほとんどのケースで金持ちや権力者が世間から尊敬を集めているのである。

貧乏人は何をやっても相手にされない。でも、金持ちになれば何をやっても共感してもらえる、尊敬してもらえる。だから必死に稼いでお金持ちにならないといけない!

というのが「軽薄な人」の考え方だ。

軽薄な人の考えなので、これは残念ながら富の本質から外れている。

お金を稼げば稼ぐほど幸福度が増えていく、というのは誤りだからだ。

なぜ間違っているのかは本書を参照してほしい。

最低限のお金があれば幸福

「軽薄な人」の真逆の「賢人」は「お金がどんどん増えていけば幸福もどんどん増えていく」とは考えない。

最低限のお金さえあれば十分」と考える。

最低限のお金があれば、それ以上稼いでも無意味だ」、というのが賢人の考え方だ。

だから、アダム・スミスは「賢人」よりも「軽薄な人」が経済の原動力になると主張した。

最低限のお金はいくらか?

本書を読んでふと思ったのは「アダム・スミスの言う”最低限のお金”はいくらか」ということだ。

最低いくら持っていれば「幸福を感じ続ける人生」を送ることができるのか?

これがわかれば、早期退職しても、老後もずっと幸福でいられる。

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