日清のカップヌードルがヒットした原因は「浅間山荘事件」だとは知らなかった。
日清食品ホールディングス(2897)の株主優待品としてもらった創業者・安藤百福の伝記『転んでもただでは起きるな! – 定本・安藤百福』 (安藤百福発明記念館[編] 中公文庫 2013)によると、
カップヌードルの需要を一気に爆発させる事件が起きた。
1972(昭和47)年2月、連合赤軍による浅間山荘事件である。安藤はテレビの現場中継を見ながら、あっと息をのんだのを覚えている。雪の中で山荘を包囲する機動隊員が湯気の上がるカップヌードルを食べているのだ。
(中略)
当時、カップヌードルが納入されていたのは警視庁の機動隊だけだったため、他の県警や報道陣から、すぐ送ってほしいという電話が本社にかかってきた。社内は大騒ぎになった。
p.90
日本人の80%が見たCM
浅間山荘事件のテレビ中継の総視聴率は80%を超えていたらしい。
日本人10人に8人がテレビの前にくぎ付けになったのである。そして、「あの食べ物は何だ」と口にした。その日からカップヌードルは火がついたように売れ出した。たちまち生産が追いつかなくなった。
p.90
本書から、機動隊員が寒空の下でカップヌードルを食べている写真を引用する。
この光景が「コマーシャル」となって、日本人の80%以上がテレビで見た結果、カップヌードルの大ヒットとなった。
運は大事
もし、「浅間山荘事件」がなかったら、
もし、日清食品が警視庁の機動隊にカップヌードルを納入していなかったら、
カップヌードルは今もそれほど売れていなかったかもしれない。
本書では、安藤が無一文からチキンラーメンやカップヌードルを発明するまでの「努力」を読むことができるが、成功するには「運」もすごく大事なんだな、と思える。
<参考動画>