『徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか』(早島 大祐(著), 講談社現代新書, 2018)を読んだ。
「徳政令」とは鎌倉時代~室町時代にかけて、政府(朝廷・幕府)が「借上」「土倉」と呼ばれる金融業者に対し発した命令で、内容は「借金を免除しろ!」だ。
鎌倉時代以降の日本では、政府の命令で借金がチャラになる制度があった。
鎌倉時代は侍が抱えている借金の免除がメインだったが、室町時代以降は庶民が金融業者から借りている借金が「徳政令」で免除されるようになった。
徳政令が発せられる社会は「借金は返さなくていい」が常識だった。
数万人の債務者が首都乱入
室町時代の庶民(特に地方の庶民)は、増税と災害による金欠で借金を余儀なくされていた。
1441年(嘉吉元年)、徳政令による「借金チャラ」を求めて数万人の債務者が蜂起して、当時の首都である京都に乱入した(嘉吉の徳政一揆)。
京都に乱入した理由は、庶民は主に京都の「土倉(どそう)」と呼ばれる金融業者からカネを借りていたからだ。
一揆勢の目標は金融業者が保管している「借用書」。
いち早く京の侵入に成功した徳政一揆は、土倉に借用書の提出を求め、出さなかった場合には土倉を焼き払うという強硬手段によって債務破棄を実行していった。
出典本書(Kindle版)
一揆勢は金融業者の倉を焼くことで借用書を廃棄して、借金をチャラにしようとした。
対する幕府軍は一揆勢の京都侵入の阻止に失敗。
「徳政令」を出さざるを得なくなった。
借金を返さないデメリット
「借金を返さなくてもいい」が常識の社会は一見、借金で苦しんでいる庶民には「メリット」のように思える。
わたしも、本書を読むまではそう思った。
しかし、「徳政令」は庶民にとってもやがて「重荷」になってくる。
そして「借金は返さなくていい」から「借金は返すのが当然」という「常識」が世間に定着して、現在に至る。
なぜ「徳政令」が重荷になって「借金は返すのが当然」という現代人にとって「常識」となる考えが定着してきたのか、本書を読んで納得した。
「政府の命令で借金が免除されたらラクになる……とは限らない」と実感できた本だ。