いや、わたしが「バカはセミリタイアに向いてないから一生働いてろ」と思っているわけではない。
ショーペンハウアー先生の『幸福について』(鈴木 芳子(訳), 光文社古典新訳文庫, 2018)を読んでいたら、こんな名言(?)があった。
才知あふれる人物はまったく独りぼっちでも、みずからの思索や想像ですばらしく楽しめるが、鈍物は社交や芝居、遠出やダンスパーティーと絶え間なく気分転換しても、地獄の責め苦のごとき退屈をはねのけることができない。
ショーペンハウアー先生によると、幸福になるには「才能」が必要だという。
「幸福なセミリタイア」に必要な才能
幸福になるには「幸福を享受する能力」つまり才能が必要だというのだ。
なので、上記で紹介した言葉のとおり、
- 才知あふれる人物 → 独りぼっちでも、みずからの思索や想像ですばらしく楽しめる
- 鈍物(つまりバカ) → 遊びまくっても地獄の責め苦のごとき退屈をはねのけることができない
となるのだ。
セミリタイアすると「自由時間」がたっぷり確保できる。
ありあまるほどのセミリタイアの時間を楽しんで過ごすか、それとも「退屈だーーー!」と愚痴って貴重な時間を浪費するか。
すべては個々人の「才能」にかかっている。
セミリタイアできても「楽しむ能力」がなければ時間がもったいない、というわけだ。
幸福になるのにカネはいらない
ショーペンハウアーは本書で「幸福になるのに莫大な財産はいらない」という。
「幸福を享受するための才能」それに「健康」があればいい。
逆に、「才能」や「健康」がなければいくら大金を持っていても幸福を感じることはできない。
有り余る巨万の富は、私たちの幸福にほとんど貢献しない。したがって不幸せだと感じている金持ちが大勢いる。それはかれらが真の知的教養がなく、知識もなく、それゆえ何らかの私心なき知的な暇つぶしができるような興味を持ち合わせていないためである。
幸福なセミリタイア生活を続けるために「才能」と「健康」を追求したいものだ。