明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫, 2013)を読んだ。
明智光秀が織田信長に反旗を翻した「本能寺の変」の真の原因が、あまりにも現代のサラリーマンが同情したくなるような理由だった。
本能寺の変の定説
本書は、明智光秀の子孫である著者が、「本能寺の変の定説」に反論しながら「真の原因」に迫るというものだ。
わたしが持っていた「本能寺の変の原因」は次のようなものだ。
- 明智光秀は武将として手柄を立てているのに、上司の織田信長にいじめられていた
- 羽柴秀吉の毛利攻め(中国攻め)が佳境に入り、信長から「秀吉の配下に入って加勢せよ」と言われた
- 毛利攻めに向かう前、突然信長から「現在の領地を召し上げ、中国地方に転封する」と言われた、つまり「領地が欲しければ毛利の領地を攻めとれ」と言われた
- 信長からのあまりにも理不尽な仕打ちに精神的に耐えられなくなり、信長が宿泊する本能寺を攻撃した
本書ではこのような「定説」が「ウソ」だと主張する。
「ウソ」が広まった原因は羽柴秀吉が本能寺の変後に書かせた「改ざん歴史書」だ。
つまり、「本能寺の変とは明智光秀が上司の織田信長の仕打ちに耐えられなくなってブチ切れて謀反を起こした事件」と世間に思わせたほうが秀吉にとって都合がいいために、ウソを広めた。
その後、歴史小説、映画、NHK大河ドラマ等で「ウソ」が「定説」となり、広く日本人が信じるに至っている。
日本で行き詰まると中国を征服したくなる病
本書が主張する「本能寺の変の真の原因」については、ここで書いてしまうとネタバレになる。
推理小説のように本能寺の変の真実に迫っている本のネタバレをするということは、推理小説の犯人を明かすようなものだ。
これはできないので、詳細は本書を読んでください。
ヒントを少し書くと、「歴史上、日本の成功者は国内で仕事に行き詰まると、中国を征服したくなる」という病気があるようだ。中国というのは日本の中国地方ではなく海の向こうの大陸の中国だ。
日本史では豊臣秀吉が中国の「明」を征服するために朝鮮に出兵したが、実はこの計画は秀吉のオリジナルではなかった。
秀吉が天下を取る前から、ある人物が立案した中国征服計画があった。
地元志向が強いのに中国転勤を命じられたら
明智光秀も「中国征服」に巻き込まれそうになり、悩んでいた。
現代のサラリーマンに置き換えてみると、「会社が中国進出を考えていて、中国転勤の可能性が出てきた」ような感じだ。
本能寺の変を起こす直前の明智光秀はもう若くなかった。サラリーマンで言えばリタイアしていてもおかしくない高齢だった。
「今までは会社の事業所は地元にしかなくて、定年まで地元で勤務できると思っていた。なのに、急に中国進出の話が持ち上がって、中国に転勤させられる可能性が出てきた」
「先日、急に上司に呼び出されて”中国に行って現地法人を立ち上げて来い!”と言われた。中国語なんかわからないし、中国に行ったことはないし行きたくもない。あとちょっとで定年退職なのに……ずっと地元でのんびりと仕事したかったのに……」
もし、地元志向が強い定年間近のサラリーマンが、上司から急に中国転勤を内示されたら……。
明智光秀は迫り来る危機をどのように切り抜けようとしたのか。
「本能寺の変の定説」を信じ切っていたわたしにとって、「衝撃の真実」だった。
目次
第1部 作り上げられた定説(誰の手で定説は作られたか/定説とは異なる光秀の経歴/作られた信長との不仲説)
第2部 謀反を決意した真の動機(土岐氏再興の悲願/盟友・長宗我部の危機/信長が着手した大改革)
第3部 解明された謀反の全貌(本能寺の変はこう仕組まれた/織田信長の企て/明智光秀の企て/徳川家康の企て/羽柴秀吉の企て)
第4部 叶わなかった二つの祈願(祈願「時は今あめが下なる五月かな」/祈願「国々は猶のどかなるとき」
<参考動画>
織田信長のオールナイトニッポン@本能寺(松村邦洋)