やはり高給取りで貯金がたくさんあったから隠居できたのか。
「忠臣蔵」は早期リタイアに必要なのは貯金であることを教えてくれた。
先日『これが本当の「忠臣蔵」 赤穂浪士討ち入り事件の真相』(山本 博文(著), 小学館101新書, 2012)を読んだ。
この記事を書いているのは12月上旬、忠臣蔵の季節だ。
わたしが興味があったのは「お金」。
浅野内匠頭が吉良上野介を江戸城松の廊下で切りつけた「赤穂事件」で、浅野家が取りつぶしになった。
無職の浪人になった浅野家筆頭家老の大石内蔵助がなぜ京都の山科に早期リタイアして隠居できたのか?
家や土地を購入する資金や、生活費をどうやって工面したのか?
本書で疑問がとけた。
高給取り
赤穂浅野家が取りつぶしになって収入がなくなった大石内蔵助だが、京都の山科で土地付きの家を買って、家族と隠居生活を始めることができた。
どうやって隠居資金を調達したのか?
大石内蔵助は浅野家筆頭家老だった。
家臣のなかでは一番の高給取りだ。
いくらもらってたのかといえば、年間1,500石(1石は米150kg)だった。
1,500石を現代の貨幣価値に換算すると、手取りの年収は1億2千万円らしい(本書p. 80)。
なので、貯金が相当あったはずというのが本書の説だ。
1年半で終わる隠居生活
京都の田舎での隠居なので生活費はそんなにかからないと思うから、貯金がたくさんあれば悠々自適な隠居生活が送れたはずだ。
が、山科に引っ越してから約1年半後の元禄15(1702)年12月14日に江戸の吉良上野介邸(本所松坂町)に討ち入る。
わたしが大石内蔵助だったら、ずっと山科で隠居を続けるかな~。