人はなぜ生きているうちにお金を使いきらずに「遺産」を残すのか

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中島隆信『これも経済学だ!』 (ちくま新書 2006)を読んだ。

「カネは墓場に持って行かれない」のに、人はなぜ生きているうちにカネを使いきらずに「遺産」を残すのか、について、経済学の視点からの考察が面白い。

本書では2つの動機があるという。

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利他主義的動機

遺産は子孫への愛である。

遺産を残す者は、「かわいい子供や孫が、自分の死後もカネに困らずに暮らせるように」と願う。

「遺産を残すことで子孫が幸せになれる」ことで幸せを感じる。

もし、このような「利他主義的動機」があるのなら、生きているうちに「明らかに使い切れないカネ」を贈与してしまってもいいはずだ。

しかし死ぬまでカネを手放さずに「遺産」となるケースが多い。

死後にカネをあげても子孫が喜ぶ姿を見ることはできない。

生前贈与してしまって、自分の目で子孫が喜ぶところを見たほうがいいのでは?

どうも「利他主義的動機」だけで遺産を残すわけではないようだ。

もうひとつ動機があるみたいだ。

利己主義的動機

利己主義的動機とは、「遺産は子孫のためではなく、自分のために残す」というものだ。

将来、子孫に分け与えるカネを持っていることで、子や孫に対してイニシアチブを取れる(上位に立てる)。

例えば、気に入らない子孫に対して「お、お前にはびた一文渡さない!」といって脅しをかけることができる。

遺産を自分の権力維持の道具に使う、という動機だ。

生涯独身者はお金を使い切って死ぬ?

子孫がいた場合は遺産を残す動機があるが、生涯独身者のように子孫がいない場合、上記の2つの動機は存在しない。

つまり遺産を残す理由がない。

「生涯独身なら、カネは生きている間にすべて自分のために使いきって死ぬ」

という動機が強くなる。

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