リタイア資金を貯めこんだけど、貯めこんでいながら楽しめない人生がバカらしくなって旅行で使い果たしたのが、随筆の元祖『エセー』の著者、モンテーニュだ。
放送大学「歴史と人間」という授業の”モンテーニュとマリー・ド・グルネー-『エセー』の作者と「義理の娘」-”という講義を見て、モンテーニュの『エセー』を読み直してみた。
モンテーニュは裁判官だったが、早期(?)退職して故郷に帰ってリタイア生活に入る。
自分の城館に引きこもって随筆『エセー』の執筆を開始する。
サラリーマンが早期リタイアしてブログを開設するようなもの?
モンテーニュは「領主様」だったので、貯金はかなりあったらしい。
莫大な貯金があっても心配は消えない
彼が貯金した理由は、現代の我々と同様「あらゆる災難に備える」ためだ。
でも、いくらお金をたくさん持っても心配は消えなかったらしい。
支出の能力は大きくなっても、そのために重荷は少なくならなかった。なぜならピオンが言うように、髪の多い者も
禿頭 の者と同じく、髪を抜かれれば怒るものだからである。(中略)
人はそれを減らす気がしなくなるであろう。
そうそう、お金は減らしたくない。
減らないお金は持っていても意味はないのに、減らしたくない。
お金は髪と同じで、いくらたくさんあっても減らしたくないものなんだ。
そしてますますこの貯えの山を太らせ、次々と数を増やしていって、しまいには、さもしくも、自分の財産を享楽することもしりぞけて、貯めることだけに熱中して、全然使わないようになる。
いつしか、人生を楽しむことを忘れて、貯金すること自体が人生の目的になってしまって、守銭奴が誕生する。
お金を使うことを楽しむ
しかし、モンテーニュは守銭奴にならなかった。お金を使って人生を楽しむことを選んだ。
その貯蓄を全部捨てさせてくれた。ある大がかりな旅行の楽しみがこのばかげた考えを捨てさせたからだ。
上記の放送大学の講義によると、モンテーニュはリタイア後、パリを出発してドイツ~スイス~イタリアを回る大旅行をしている。
現在では「大旅行」とは言えないが、モンテーニュは1500年代後半、日本史で言えば信長・秀吉が活躍した戦国時代の頃を生きたフランス人だから、大旅行なのだ。
「人生を楽しまずに貯金ばっかりしているなんてバカバカしい」、とばかりに、リタイア資金を外国旅行でぜんぶ使い果たす。
私が貯めるのは近いうちに何かを買おうと期待するからにほかならない。土地を買うためではない、そんなものに用はない。楽しみを買うためだ。《物を欲しがらないことは一つの財産である。買い物好きでないのは一つの収入である。》私は財産がなくなることを大して恐れないし、財産が殖えることを少しも望まない。
かっこいい!こんなセリフ言ってみたい。
お金とは、将来不安を消してくれる「お守り」として貯めこむものでなく、物を買うためでもなく、楽しみを買うためにある。
金融資産を増やすこと自体が人生の目的になってはいないか、今を楽しむことを忘れていないか、常に反省しないと。
※引用元は『エセー〈1〉』 (ワイド版岩波文庫 2002)、第1巻第14章。