仕事があることは「幸福」なのか「不幸」なのか?
大昔に読んだ、『ラッセル幸福論』 (岩波文庫, 1991)を読みなおした。
奥付の最新の発行年を見ると1998年だった。
おそらく、20代のサラリーマン時代に買ったと思われる。
もう20代から「会社辞めたい!」と思っていたのか。
というのは、本書には「会社から与えられている仕事をしてるだけでは不幸になる」と書いてあるからだ。
「雇われる」という不幸
現代の知識人の間に見られる不幸の原因の一つは、非常に多くの人々が、ことに文筆業を生業とする人たちが、才能を独立して発揮する機会が見つからなくて、俗物が牛耳っている富裕な法人に余儀なく雇われるはめになり、俗物たちに自ら有害なナンセンスだと思っている記事を書くように強要されることである。
(中略)
そういう仕事では、真の満足は得られない。ために、あきらめてそういう仕事をしているうちに、人は、否応なしに自分自身を冷笑家にしてしまい、ついには何をしても心からの満足が得られなくなってしまう。
pp.239-240
「文筆業」を「自分のいる業界」に置き換えて、「記事」を「自分の仕事」に置き換えれば、すべてのサラリーマンにあてはまる。
雇われて会社のために仕方なくやる仕事が不幸の原因とわかっているが、ほとんどの人は「飢える」恐怖には勝てず、生活のために働く。
わたしも本書を読んですぐに「幸福のために会社を辞める」という行動をとったかといえば、NOだ。
お金のため、世間体を維持するため、会社にいつづけた。
「不幸から逃げたい」というのは「会社を辞める動機」として弱い。
やはり、ある程度の「貯蓄」があって、「逃げ切り計算機」などでシミュレーションして「最悪、収入がゼロでも何とか生きていける」という「根拠」がなければ重い腰は上がらなかった。
仕事で満足する方法
会社を辞める辞めないは別にして、仕事はどうやれば幸福になれるのか。
本書によると、仕事で満足するには次の2つが必要だ。
- 暇な時間をつぶせること
- 野心を満たせること
野心とは目標と言い換えてもいいと思う。
さらに、仕事を「面白く」する要素は次の2つだという。
- 技術を行使すること
- 建設
あと、自尊心も必要。
自尊心がなければ、真の幸福はまず不可能である。そして自分の仕事を恥じているような人間は、自尊心を持つことは到底できない。
p.240
自尊心を持って、自分の持っている技術(スキル)を使って、何かを創る。
これができれば、「俗物が牛耳っている富裕な法人に余儀なく」雇われることなく、仕事で幸福になれる。
と本書を読んで思い、読後から10年以上経過して会社を辞めた。