『気付いたら…もう「幸福」になっていた! ~現代人のための「ブッダの幸福論」~ (初期仏教の本)』(アルボムッレ・スマナサーラ著,宗教法人日本テーラワーダ仏教協会,2013)を読んだ。
スリランカの僧侶のスマナサーラ長老の講演を書籍にしたものだ。
本書の最後の方にある「Q&A」で、
「お金をたくさん稼ぐことについて」の長老の回答が、「お金を稼ぐことに疲れている心」に刺さる。
お金は生きていくために必要だけど、「たくさん稼ぐ」必要はあるのか?
「生きるためのお金」は簡単に手に入る
長老は、「お金は簡単に手に入る」という。
まず、「自分がどういうプログラムで生きるのか」を具体的に知っていて、それにはお金は必要ですから、そのぶんがんばればいいのです。そのお金だったら簡単に手に入るのです。だから、人間、必死で苦しまなくても、一応、収入は入ります。
自分のライフスタイルに合った収入があればいい。
それ以上稼ぐ必要はない。
なのに、なぜ「もっとたくさん稼ごう」とするのか。
何で、みんなは必死で、死にもの狂いでがんばるのかというと、どれくらいお金があればいいのかを、わかっていないのです。途中で死ぬまで、がんばるしかなくなってしまうのです。いくらお金を貯めても、それでも何か足らない気分になるのです。
「逃げ切り計算機」で必要な資金がわかれば、それ以上稼ぐ必要はないのに、
「もっと稼がないといけない」
「もっと貯め込まないと、老後は不安だ」
「もしハイパーインフレが起こったら、もし年中行事のようにリーマンショックが毎年発生したら……」
という妄想が浮かぶ。
バカバカしい妄想なんだけど……。
「セミリタイア」は合理的な生き方
本書を読んで、「セミリタイア」という生き方は仏教的に見ても合理的な生き方なんだなと思った。
お金に困らずに平穏に生きることができる資金計画を立てて、必要以上にがんばらずにヘラヘラと生きる。
我々は計画を立てて、自分の理性的なそれなりの幸福像を作って、大胆なことを考えないで、そちらにお金が足らなかったらその足らない分はちょっと余分にがんばる。十分あるのだったら、人生は楽しめる。十分あるのだから、その分は仕事をしない。そういう考え方なのです。
※強調は引用者による。
「お金が足りない」と思ったら、「もっと稼がないといけない」と思うのではなく、「必要以上のお金を欲しがりすぎているだけ」と思った方が楽になるし、後者が真実である場合が多い。
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