『古今和歌集』に隠遁、つまり「早期リタイア」する人を皮肉っている短歌がある。
「仕事がイヤで早期リタイアしても早期リタイア生活がイヤになったらどうするの?」という意味の歌だ。
世をすてて山に入る人山にてもなお憂き時はいづち行くらむ
(巻第十八 雑歌下 956)
直訳すると「世を捨てて山で隠遁する人は、山の隠遁生活がイヤになったらどこに行くのだろうか」となる。
現代風に言えば、「出世をあきらめて早期リタイアしても早期リタイア生活がイヤになったらどうするんだろうか?」と解釈できる。
「早期リタイア」は日本の宮仕え人(サラリーマン)にとって1000年以上も(『古今和歌集』に取り上げられるほど)人生の重要なテーマなのだ。
出世できないと早期リタイアしたくなる
この短歌を作ったのは凡河内躬恒だ。
『古今和歌集』の撰者(作品を選び集めて歌集などを編集する人)の一人。
役人だったが、あまり出世(昇進)できなかった。
『古今和歌集』(角川ソフィア文庫)にある彼のプロフィールを見ると、地方の下級職を歴任しているに過ぎない。
彼はずっと出世できないことを周囲に嘆いていたという(『古今集・新古今集』(大岡信(著), 学研, 2001), p. 45)。
同僚はどんどん出世して高位高官になっていくのに、自分は昇進できず地方回りの下級役人のままだと、いくら公務員でもくさってしまって辞めたくなる?
仕事を続ける or 辞めて隠遁する?
このまま宮仕えしても昇進の見込みはなさそう。
「いっそのこと役人を辞めて隠遁しようか」
と思っても、
「いやまて。出世をあきらめて隠遁生活に入っても、隠遁生活がイヤになったら、隠遁業界で出世できなかったらどうするの、隠遁ブログのアクセス数やランキングがショボかったらどうするの」
という不安がよぎる。
「仕事を続けるか、早期リタイアすべきか」
という「迷い」が短歌になったのかもしれない、と勝手に想像してみた。
早期リタイアがイヤになったらどうする
わたしの場合、早期リタイアして(実際はセミリタイアに近いが)7年近く経過したが、今のところ早期リタイア生活をイヤになったことはない。
が、早期リタイア生活で迷ったら『古今和歌集』の隠遁をテーマにした歌(950~956)を読むことにしている。