エリートとして出世することが約束されていたのに20代で就職に失敗。
ニートか就職浪人かよくわからない生活に。
50歳を前に再度就職に挑戦するも失敗。
そのままリタイア生活に入り「リタイア日記」を書きながら余生を送る。
鴨長明『方丈記』を読んでいると、昔の「隠遁者」が現在の早期リタイアに近い人生を送っていたと感じる。
彼は就職していないので、早期リタイアというより生涯ニートに近いか。
エリートからニートに
鴨長明は久寿(きゅうじゅ)2年(1155年)、下鴨神社の正禰宜(神社の神官)の次男として生まれる。7歳で従五位下の位を授かる。
「従五位」という位は宮中に昇殿を許される地位で、まさに「選ばれた人」だけが朝廷からもらえる官位だ。
21歳の時、親の跡を継いで下鴨神社の神官に就職できると思われていたが失敗。
子どもの時からエリート街道を進んできて出世を約束されていたはずが、まさかの挫折。
神社への就職に失敗したあとは歌人として活動し、47歳のときに和歌所の寄人に任命されている。
次の就職のチャンスは49歳の時。
後鳥羽上皇が鴨長明の河合神社の禰宜就任に動かれたが失敗。
他の神社も紹介されたが辞退して出家する。
現代風に言えば、49歳まで第一希望への就職にこだわり就職浪人を続けたが内定をもらえず、他社を紹介されるも辞退してそのままリタイア生活に入った。
出家したあとは「方丈の庵」という、今で言う「スモールハウス」を建てて隠遁生活に入る。
その後、『方丈記』『発心集』という名著を残して世を去る。
▲方丈の庵(「扶桑隠逸伝」より)
そしてリタイア生活が古典となる
鴨長明の職業は「随筆家」「歌人」と言えなくもないが「エリートコースから脱落したニート」として見てもしっくりくる。
日本文学史に残る名著『方丈記』では、隠遁生活を送りながら鋭く平安時代末期の世の中を観察している。
希望通り就職していたら仕事に追われて本なんか書くヒマがなく、日本一有名なリタイア者になることもできなかっただろう。
人間、何か才能があれば、本人が希望しない形であっても「出世」するものだ。
※『方丈記』の原文は青空文庫にあるので無料で読める。