日曜日の朝から暗い話題だけど、この記事を読めば「下流老人問題」で悩まなくてもすむようになる。
今朝、テレビで「下流老人」の特集を少し見た。
フジテレビ系「新報道2001」という番組だ。
安倍晋三首相は「1億総活躍社会」を目指し、「新3本の矢」を打ち出した。介護離職ゼロなどへの具体策がまだ見えない中、「下流老人」の言葉もあるように、貧困の問題が指摘されている。
「1億総活躍社会への道“下流老人”貧困実態どうする?介護・年金▽軽減税率の行方は…」 (番組HP)
番組に出ていたおじいさんによると、「下流老人」の定義は次の3つだ。
- 収入が少ない
- 預貯金が少ない
- 知人が少ない
年をとって、収入・預貯金・知人が「少ない」と不幸になるのだろうか?
上流老人は幸福?
逆に、収入・預貯金・知人が多い「上流老人」なら「豊かな老後」が送れるだろうか?
「上流老人」の定義をよく見てみると、必ずしも幸福とはいえない。
収入が多い……高給に見合った仕事をしなければならない(長時間労働、責任の重いストレスフルな仕事等)
預貯金が多い……やりたいことを我慢してお金を貯めこまなければならない
知人が多い……人間関係の維持に疲れる、「別れ」を恐れる
上流老人、下流老人、どっちに転んでもいいこともあれば悪いこともある。
だから、「下流老人=不幸」「上流老人=幸福」と決めつけてはいけない。
あるものだけで幸福になる
下流老人の定義をもう一度よく見ると、3つすべてに「少ない」という言葉が入っている。
「少ない」という言葉は「他人と比較して少ない」という意味だ。
つまり、勝手に他人と比較して、勝手に不幸になっているだけだ。
現在の収入、預貯金、知人の数に「主観的に」満足して生活していれば「豊かな老後」が送れるはずだ。
満足するのは主観的(つまり自己満足)で充分なので、他人と比較する必要はない。
「主観的に」満足するために誰もが持っているのが「知恵」だ。
何十年も生きてきてもなお「カネがない」「友人が少ない」なんて愚痴っているのは、頭を使っていないだけなのだ。
「下流老人」という言葉は「他人と比較してもっと落ち込め」という呪いの言葉に過ぎない。