昨日(2015年9月17日)、安全保障関連法案安保法制が参議院特別委員会で可決された。
参照安保法案、参院特別委で可決 採決強行、総括質疑無く (2015.9.17 朝日新聞デジタル)
わたしの感想は「重要度の低いことに税金と時間がムダに使われるのを見るに耐えない」だった。
個人的には消費税が10%に上がるかどうかの方が10000倍関心が高い。
自衛隊が海外派兵されるかどうかより、消費税増税でまたまたデフレ不景気になる方が「日本にとって有害となる可能性が高い」からだ。
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安保法制でこれだけもめた原因は「安保法制が合憲か違憲か」で賛否が分かれたからだ。
建前上は「日本国憲法9条の条文に抵触しているのではないか」、というのが大きな反対理由だろう。
本当は、40年前に内閣法制局が出してきた憲法解釈を安倍政権が変えたというのが大騒ぎの原因だ。
「9条を壊すな」というより「憲法解釈を変えるな」というのが正確だと思う。
いまさらながら憲法を勉強
安全保障関連法案が合憲か違憲かを判断するには、「そもそも憲法とは何か」を知らなければならない。
そこで読んだ本が、小室直樹『日本人のための憲法原論』だった。
本書を読むまで今までは「憲法 = 日本国憲法の条文」だと思い込んでいた。
しかし、大間違いだった。
本書によると「憲法とは成文法ではなく慣習だ」というのだ。
慣習というのは「ある社会で古くから受け継がれてきている生活上のならわし」(デジタル大辞泉)、つまり憲法とはその国の歴史そのものなのだ。
決して六法全書に書いてある条文ではない。
憲法の条文より事実がすべて
いくら条文にいいことが書いてあっても、条文が慣習として定着しないと意味を持たない。
戦争を憲法で否定しても、「戦争をしない」ということが慣習として定着しないと。
一方、日本国憲法の上位に位置する「国連憲章」「日米安全保障条約」は戦争は否定していない。
それどころか、個別的・集団的自衛権を肯定している。
もっと歴史をさかのぼると、近代国家が生まれるきっかけとなった30年戦争の後に締結されたウエストファリア条約(1648年)では、
戦争とは文明国の儀式
とされた。
戦争は「相手」がある。
日本がいくら戦争を否定しても戦争をする他国が存在する限り、「戦争しないこと」が慣習として根付いて「憲法」となるのはまだまだ先になりそうだ。
憲法の勉強ができた
もし、安保法制のゴタゴタがなければ憲法について学ぶことはなかっただろう。
憲法について勉強するきっかけを与えてくれた「安保法制騒ぎ」に感謝したい。
日本では憲法が死んでいる
本書によると、憲法が生きているかどうかは「議会」をみればいいとのこと。
映像に映し出される国会のゴタゴタを見ている限り、日本に憲法は存在するとは思えない。