サン=テグジュペリ『夜間飛行』(二木麻里 (訳), 光文社古典新訳文庫, 2010)を読んだ。
「つらい仕事でも、仕事のなかで幸福を見つけるべきか、それとも仕事を辞めたあとの心の平和こそ幸福なのか」考えさせられる本だ。
つらくてもやりがいのある仕事があれば幸せ?
それとも、さっさと仕事を辞めて自由気ままに生きた方がいい?
心が休まらない仕事
本書は南米でエアメールを運ぶ郵便機の話だ。
わたしが惹かれた登場人物はリヴィエールだ。
彼はブエノスアイレス(アルゼンチンの首都)の飛行場で3機の郵便機の運航を管理するマネージャーだ。
3機の郵便機が無事にブエノスアイレスに到着するまで気が休まらない。
ちなみに郵便機はプロペラの複葉機だ(「ポテーズ25」と思われる)。
参照[海外文学] 『夜間飛行』に登場する飛行機(蟹亭奇譚)
出典“Potez25 A2 Salmson” (commons.wikimedia.org)
この飛行機で標高数千メートル級のアンデス山脈を越える。
確かに、こんなレトロな機体では無事に着陸するまで気が休まらない。
リヴィエールの仕事には休息がない、希望がない。
行動あるのみの毎日にもはや生きがいを感じないなら、それは老いたということである。
と思ってはみるが……。
楽しみを先延ばしにしてきた
リヴィエールは人生の楽しみを先延ばしにしてきたことに気づく。
人生を優しく彩るさまざまなことを拒んできた自分にいま気づく。そんなものは「いずれ閑になったら」と思いつつ、老いの岸辺にむけてすこしずつ先送りにしてきたのである。
わたしは、「人生を優しく彩るさまざまなこと=セミリタイア」だと思っている。
リヴィエールの場合、今の仕事を続けている限り心の平和はない。
まるで現実にいつかは閑暇の身になって、人生の終着点では思いどおりの至福に満ちた平和が得られるかのようだ。だが平和などありはしない。おそらく勝利もありはしない。郵便機の全便が到着したまま、もはや二度と飛び立たない日などないからである。
今の仕事を続けている限り、心の平和はない。
「いずれ閑になったら」と言い訳して「人生の楽しみ」を先延ばしにしてもいいのか。
責務の中に幸福はあるか
本書の最後にある「序文」でジッドがリヴィエールについてこう書いている。
人間の幸福が、自由のなかにあるのではなく、責務を引き受けるなかにあるという逆説である。
リヴィエールのように重い責務を引き受けて気の休まらない生活を続けても、仕事の中で幸福を見つけるべきか。
それとも退職して心の平和を求めるか。
わたしは早期退職して心の平和を求めた。
正解だった。