セミリタイアに必要なのは「準備」だ。
「お金」「退職後に何をやるか」「どこに住むか」などなど。
退職前に準備をしておけば憂いなし……と思い込みがちだが、そうでもない。
例えば「お金」。
わたしは退職前にある程度の貯金を用意して会社を辞めたけど、退職後も投資やブログの収益などで収入を得ている。
理由はズバリ「お金の心配がある」からだ。
準備すればするほど心配になる
「準備」で「安心」を得るのはムリだな、と納得する本を読んだ。
『スマナサーラ長老の仏教塾』(株式会社サンガ, 2016)という仏教の本だ。
本書で、こんな言葉に出会った。
いくら完璧に準備したところで、万全ということにはなりません。なにしろ明日どうなるかわからない、将来のことはどうなるのかわからない。だから、いくら準備してもムダともいえますね。 そもそも備えをしようとするから、かえって憂いがでてくる。心配になるのです。 ほんらい備えなどいらないのです。
セミリタイア生活に入るための仏教的に正しい答えは「準備なんかするな、何かあっても何とかなる」だ。
準備を過剰にしていつまでもセミリタイアしないでずるするとサラリーマン生活を続けると、無駄も過剰になる。
プランばかりでひとつも実行しない。プランを立てるために使うお金、時間、労働力、全部無駄なんです。
今を大事に生きることが最高の準備
では、「準備」ではなく何をすればいいのか?
本書によると「今を生きる」だ。
いまを思う存分、生きてください。将来のための「いま」ではなくて、「いまそのもの」、「いまを生きる」ことです。いまをフルに生きるんです。 そのことが将来の最高の準備になるのです。
「サラリーマン生活」と「セミリタイア生活」を分けて考えるのではなくて、「今」を大事に生きる。
もし、会社を辞めてセミリタイアするのが「最善」と確信できれば、過剰な心配をしなくても自然と退職して、セミリタイア生活に入れる。
退職後にお金や健康の問題が出てきても「何とかなるから問題ではない」。
というのが仏教的に正しい「セミリタイア」に関する考え方なのかな、と本書を読んで感じた。
もちろん、ある程度の貯金はあった方がいいのは言うまでもない。