「食っていかなければいけない」という言葉がある。
生活のために、やりたくない仕事を仕方なくやるときによく使う言葉だ。
しかし今のわたしは「いかに食っていかないか」ということの方が大事だ。
セミリタイアと運動不足
会社を退職してセミリタイア生活を送るようになると、通勤が減る分、運動量がどうしても減る。
通勤の代わりに散歩したりしてなるべく運動量が減らないようにしているが、食事量を減らす(食っていかない)ように気をつけている。
しかし、運動量が減っているのに、ついついサラリーマン時代と同じ量を食べてしまうときがある。
運動量については、活動量計(OMRON HJA-310)で計測している。
減量目標(体重を何kg減らすか)を入力すると、1日当たりの必要活動量をカロリーベースで計算してくれる。
あとは目標値に達するように運動(ウォーキングがメイン)するようにしている。
食うために働く必要はない
「食っていかなければいけない」という言葉のもう一つの意味に、「ご飯を食べるには現金が必要」ということから、「働いて現金を得ないといけない」というのがある。
リタイア後のテーマは「働いて食っていく」から「働かずに食っていかない」に変わる。リタイアしたらわかるが、現金が必要になる一番大きな原因は「働く」からだ。
働けば働くほど現金が必要になる。
逆に、働かなければサラリーマン時代ほど現金は必要にはならない。
もちろん現金がゼロでは生活できないが、サラリーマン時代の半分以下の出費で生活しようと思えばできる。いや、他の人のブログを見ていると月数万円でも生活できているみたいだから、本当に必要な生活費はサラリーマン時代の数分の1でいいのかもしれない。
サラリーマンであっても所得格差がすすみ「低所得者層」が多くなれば低コストで豊かな生活が送れるようになるという。
アジアなどの新興国の生活水準を考えると、物質的には、たとえば年収200万円でも、安全で不満のない生活を送ることが十分にできるはずだ。こうした所得層が増えると、その集団をターゲットとした商品・サービスの供給が生じるので、集団から外れなければ生活は案外心配ない。
したがって、現代の豊かな物質的生産能力の下で暮らしている日本人は、将来の生活に関して絶対的な不安を感じる必要はない。自分の経済力に合った生活をすれば、それなりに幸せに暮らせる。これは結構なことだ。
山崎元のマルチスコープ”「ヤンキー」のライフスタイルに学ぼう!” (2014.2.19 ダイヤモンド・オンライン)
バブル崩壊後に大人になり、低所得のままリタイアして年金生活者となる者が増えると、当然社会全体の「低コスト化」が進み、それほどお金をかけなくても暮らしていけるのではないか。
お金の面でも「食っていかなくてもいい」世界になりつつある。